【日本の城下町】古の息吹を感じる悠久の日本の城下町20選

【弘前】津軽氏の名城が現存する「陸奥の小京都」

城下町・弘前(青森県弘前市)は、全国でも12棟しかない現存する天守がある津軽氏の築城した名城・弘前城を中心とした町です。自他ともに小京都として認識されていて、「陸奥の小京都」と呼ぶ人もいます。

「弘前城」のかつての城郭区域に相当する部分は「弘前公園」となっていて、現存天守・二の丸・三の丸・辰巳櫓・未申櫓・丑寅櫓・北の郭・西の郭・四の郭・丑寅櫓・北門・東門・東内門・南内門・追手門などの遺構を見ることができます。

この他に公園内には、「武陵殿」・「護国神社」・「市立博物館」・「弘前城植物園」などの施設があります。また、公園の周辺には「旧岩田家住宅」・「旧石場家住宅」・「旧笹森家住宅」・「旧伊東家住宅」・「旧梅田家住宅」・「藤田記念庭園」・「市立考古館」・「津軽藩ねぷた村」などがあります。

この町で最も往時の姿を残しているのは、城の北側の北門に面した仲町地区です。そこは国選定重要伝統的建造物群保存地区となっていて、かつては追手の守護のために区画された侍町の地割りと屋敷構えをしっかりと残しているのです。

「旧岩田家住宅」・「旧笹森家住宅」・「旧伊東家住宅」・「旧梅田家住宅」の4棟がその侍町の武家屋敷で、簡素で剛健な江戸時代後期の中級武士の生活を偲ばせてくれます。中でも岩田家と伊藤家は県重宝に、笹森家は市指定有形文化財に指定されています。

「旧岩田家住宅」は昭和56年に弘前市に寄贈されたもので、建物の状況や江戸時代の資料などから、寛政時代(1789~1801年)後期から文化時代(1804~1818年)の間に建築されたものと考えられています。

住宅の柱・小屋組みなどの主要な構造部材と茅葺屋根などがほぼ建築当時のままに残されており、他の3棟の武家屋敷とは少し離れていますが、「津軽藩ねぷた村」に近いため弘前を手軽に知るためには城とこの屋敷とねぶた村に絞って見てみるのも良いかもしれません。

「旧笹森家住宅」は元々はもっと東側の方にあったものを、平成7年に前の所有者が弘前市に寄贈し、平成24年に現在地へと移築復元したものです。宝暦6年(1756年)の文献にかかれていることから、この地区内に現存する武家屋敷では最も古いものであることがわかっています。

「旧伊東家住宅」の伊藤家は藩医を務めた家で武家ではありませんが、住宅は中級武士の居宅に良く似た構造・特徴を残していて、武家屋敷のひとつとされています。昭和50年代に元長町から保存地区に移築されました。

造作などの特徴から19世紀初期の建築と考えられますが、何度も改造が加えられ、現在地への移築にあたっては藩医時代を想定した復元が行われています。玄関は式台構えで広間・座敷・板の間・次の間・常居(じょい)がほぼ正方形に配置され、広間と常居の上が中二階となっています。

「旧梅田家住宅」は伊東家の隣にあり、ヒバの生垣で区切られています。元々は在府町にあったものを昭和57年に保存地区に移転し、昭和60年から一般公開しているものです。下級武士の屋敷であったことから少しこじんまりとはしていますが、充分に往時の趣を残しています。

弘前は、弘前城の天守を背景にした桜の景色が圧巻で、武家屋敷・多くの名刹寺院・明治時代から昭和時代初期にかけてのルネッサンス調の建物なども一軒の価値がある町です。