【日本の城下町】古の息吹を感じる悠久の日本の城下町20選

【上田】千曲川によって守られた風情ある城下町

城下町・上田(長野県上田市)は、戦国武将の真田昌幸が小県地方を治める時に拠点とした場所で、城は盆地のほぼ中央に位置し、天然の要害である千曲川によって守られています。今も旧北国街道に風情ある街並みを残しています。

真田昌幸は波乱の生涯において、数多の有力戦国武将を主君と仰いでいました。初めは武田信玄・勝頼、次に織田信長・北条氏直・徳川家康・上杉景勝と続き、最後は豊臣秀吉・秀頼に仕えたのです。

天正11年(1583年)、徳川家康に仕えていた昌幸は、上杉氏から千曲川領域を守るために、家康の命によって松尾城(後の上田城)とその周囲に城下町を築きます。城下町は北国街道沿いに並び、海野町・問屋の滝沢家がある原町・横町・柳町・田町・鍛治町・紺屋町がありました。

海野町は真田氏がその嫡流と自称する海野氏がいた海野郷の人々を移住させて作った町で、本陣と問屋を兼ねた柳沢家がありました。また、原町には問屋の滝沢家が、柳町には旅籠屋・商家・25軒もの呉服屋などがあったといい、現在でも寛文5年(1665年)創業の岡崎酒造あり、街道の名残りを見せています。

この城下町の最寄駅は、JR・しなの鉄道・上田電鉄の上田駅です。駅から上田城跡までは歩いて14分くらい、城跡は公園として整備された本丸・二の丸・濠跡の範囲内にあります。

再建造物の門や、櫓・石垣・土塁・堀の遺構を見ることができます。西櫓からは、小牧山・塩田平を一望でき、かつて「百閒濠」と呼ばれた二の丸の濠跡のそばにある土塀を見ると、自然と往時の情景を偲ばれるのです。

城跡からお濠の跡に作られた陸上競技場辺りまでは徒歩5分ほど、そこから旧北国街道にほぼ相当する国道18号線までは更に5分ほどかかります。国道の手前には矢出沢川が流れていて、散策路が整備されて昔の街道筋を偲ばせる憩いの空間を造り出しています。

旧街道から国道141号沿いの原町までは徒歩12分、そこから海野町へは僅か2分です。国道を逸れて横町へは歩いて18分ほど、そこは所々が空地や駐車場で途切れてはいますが、垣根や植物を植えることで城下町としての雰囲気を今に伝えるように工夫されています。

横町から県道を通って6分ほど国道の方へ歩くと、そこは松尾町になります。そこには大正時代のモダンな建物と現代の素敵なカフェが併存し、駅ビル陰に見える蔵と合わせて、遠い時代からの時の流れを感じることができるのです。

松尾町から小路をお城の方へと4分ほど歩いた所に上田高校があります。ここの敷地はかつての藩主が暮らした居館があった場所で、その校門は元の藩邸表御門が使われ、その両脇には土塀・濠・土塁が続いています。

これ以外にも、上田城跡の周辺には旧北国街道沿いの鍛治町のように、鷹匠町・材木町など職業に関わる町名が残されています。また、滅亡した武田氏家臣を真田氏が召し抱えて重臣として住まわせた旧新参町(現・大手)の名前は、「日本基督教団上田新参町協会」として残されています。

この他の上田の見所としては、旧北国街道周辺の日輪寺・宗吽寺・願行寺・月窓寺・本陽寺などの防御拠点であった寺社群や、真田氏の次に藩主となった仙石氏の墓所である芳泉寺があります。そして、更に遠い時代の歴史を伝える3~4世紀頃の創建とされる科野大宮大社があります。