【日本の城下町】古の息吹を感じる悠久の日本の城下町20選

【松江】堀川めぐりや城周辺歩きができる水の都の城下町

城下町・松江(島根県松江市)は、国宝の現存天守を持ち城跡が国の史跡ともなっている松江城を取り囲む川の「堀川めぐり」や、城周辺にある武家屋敷などを巡る町歩きができる水の都の町です。

戦国時代を終わらせた関ヶ原の戦いで毛利輝元を総大将とする西軍が負けたことによって、松江の毛利氏支配は終わり、替わって入封したのが戦功のあった堀尾吉晴・忠氏親子です。

初めは月山富田城へ入城し、松江藩の成立となります。しかし、この城は中世山城であったため城下町を作るには不向きなものでした。そこで、運送で有利な宍道湖と太田川の近くにあった末次城跡の亀田山に新しい城を建てることとしたのです。

亀田山は北側に奥谷方面から伸びている丘陵の南の端に位置し、城の北側の北堀川周辺には藩の家老・塩見家の屋敷があった地区となっていて、現在は「松江市伝統美観指定地区」となっています。

この地区には、塩見家の武家屋敷の他、「明々庵」・「小泉八雲記念館」・「小泉八雲旧居」・「田部美術館」などがあり、日本の道100選に選ばれています。塩見家の屋敷があった武家町であったことから、「塩見縄手」と名付けられています。

この地区は「明々庵」から「小泉八雲旧宅」までの500メートルほどの通りになっていて、松江城築城の際に城下町の形を成立させています。南側の堀橋に連なる大きな老松は、城下町ができた時に植生されたものです。

塩見縄手の武家屋敷は、現存する侍屋敷を資料展示施設とした博物館です。母屋・長屋・長屋門・裏門・庭園が現存し、江戸時代中期の面影をよく伝えています。

松江藩の藩主は堀尾氏2代(吉晴除く)・京極忠高・松平(越前)氏10代と続きますが、松平氏7代目の治郷(不昧)によって茶室の「明々庵」は建てられました。初めは家老・有沢弌善の邸内に建てたものですが、その後東京の松平伯邸に移され、昭和3年に出雲の萩の台、昭和41年に塩見縄手へと移されたのです。

亀田山の南側、宍道湖に繋がる大橋川以北の島根郡側には、殿町・母衣町・田町・内中原町・外中原町などの武家屋敷地、亀田山と大橋川の中間くらいを東西に流れる京橋川以南の末次には町人地、意宇郡側の白潟には町人地と寺町、松平氏の支配になってからは山陰道沿いに足軽町(雑賀町)が割り当てられました。

「松江城」の天守は入母屋破風の屋根が羽根を広げたようになっている見た目から、「千鳥城」とも呼ばれている優雅なものです。その最上階にある望楼に上がれば、松江の町並みと遠く宍道湖も一望することができます。

屋根の上に設置された鯱は2メートルもあり、木製としては日本最大となります。石の小さな面を表に出す「牛蒡積み」の石垣は400年の歴史を刻み、エレベーターの無い天守内は軽い素材の桐で作られた階段を上らなければならないので、遠い昔に思いをはせることになります。

城を取り囲む堀川は築城時に作られたもので、そこを「堀川めぐり」をする遊覧船は50分ほどかけて松江の町並みを進んで行きます。船がくぐり抜ける橋の数は17、水辺の草花に四季を感じ、冬期間に運航されるコタツ船も水の町の趣をよく伝えてくれます。

松江の観光スポットとしては、「松江城」・「堀川めぐり」・「松江市伝統美観指定地区」の他、「松江歴史館」・「日本庭園 由志園」・匠をテーマにした「カラコロ工房」・360年の歴史の「松江ホーランエンヤ」・松江しんじ湖温泉の「お湯かけ地蔵」・「べた踏み坂(江島大橋)」・「宍道湖しじみ館」などがあります。