【日本の城下町】古の息吹を感じる悠久の日本の城下町20選

【武蔵嵐山】江戸と上州を結ぶ源氏と畠山氏ゆかりの城下町

城下町・武蔵嵐山(埼玉県・嵐山町)には、江戸と上州を結ぶ川越児玉往還の菅谷宿がありました。ここは源義仲と畠山重忠にゆかりがあり、変化に富んだ地形と豊かな自然に囲まれた、四季折々の感動を与えてくれる町です。

町形成の中核となった城は「菅谷城(菅谷館)」で、現在では土塁・横堀・虎口・土橋の遺構が残るのみです。築城主は不明で、「坂東武士の鑑」とも言われた畠山重忠、山内上杉氏や北条氏が城主であったと考えられています。

ここへは、東武東上本線武蔵嵐山駅から徒歩13分ほどで行くことができます。都幾川と槻川が合流する北側の低い台地にあり、鎌倉時代に中心部分であったと考えられる本郭は城館の面影を良く残していて、中世館跡の遺構として希少な存在となっています。

鎌倉時代には幕府のあった鎌倉と各地を結ぶ鎌倉街道の要衝の地であり、江戸時代になると江戸(東京都)と上州(群馬県)を結ぶ埼玉県の川越市と児玉郡を行き来する時の宿場町でした。

武蔵嵐山(むさしらんざん)という名称は、昭和3年にここを訪れた日本の「公園の父」本多静六が、その景観が京都の嵐山(あらしやま)に似ているということから命名したものです。

主な観光スポットとして、「菅谷城跡」の他に、「嵐山渓谷」・「大蔵館跡」・「鬼鎮神社」・「鎌形八幡神社」・「班渓寺」・「一平荘」・「杉山城跡」などがあります。

源(木曽)義仲の父・義賢は大蔵館を居所として、皇太子の警護役である帯刀(たてわき)の長官でした。義仲は館近くの鎌形で生まれたとされていて、そこにある鎌形八幡神社の境内には、産湯にしたと伝わる「産湯の清水」が今でも湧いています。

鎌形の外れにある班渓寺は義仲の妻・山吹姫の菩提寺、或いは姫が義仲を供養するために開いた寺とも言われています。境内には姫の墓と伝わる供養塔があり、毎年3月には義仲を偲ぶ慰霊祭が行われます。

畠山重忠は深谷市にあった「畠山の館」に生まれ、源頼朝の平家追討にあたり17才で京都にいた父の代わりに参陣しています。後に頼朝に服従を近い、常に軍の先鋒を務める名誉を貰ったのです。

源平の戦い・木曽義仲追討の戦い・奥州藤原氏との奥州合戦などで戦功をあげた重忠は、鎌倉幕府の有力御家人となっていきます。鎌倉幕府の正式記録である「吾妻鏡」に、重忠の最期となる二俣川の戦いに出陣したのが「菅谷の館」とあり、これが「菅谷城」のことなのです。

現在「菅谷城」があった敷地内には「埼玉県立嵐山史跡の博物館」が建てられており、周囲の雑木林の広がる自然公園と博物館の資料から古の昔を感じる事ができるのです。

「嵐山渓谷」のバーベキュー場へは、車では東松山IC・嵐山小川ICから約15分、東武・武蔵嵐山駅から徒歩40分・バス10分ほどで行くことができます。

渓谷では、「小倉城跡」・「遠山甌穴」・「谷川橋」・「山の神とスダジイ」・「幸吉の湯」・「道元の滝と水族館跡」・「ごりん沢の展望」・「木造旅館と展望風呂の跡」・「紅れんせき片岩」・「製粉水車場遺跡」・「かせ岩」・「冠水橋」・「亀の甲岩」・「炭焼窯跡」・「千手院伝説の洞窟」など見て散歩をすると良いでしょう。