【日本の城下町】古の息吹を感じる悠久の日本の城下町20選

【西尾】六万石の城下町として栄えた「三河の小京都」

城下町・西尾(愛知県西尾市)は、抹茶の生産地として知られ、徳川家康の時代までに分家した「十八松平」のひとつ、大給(おぎゅう)松平氏六万石の城下町として栄えた、「三河の小京都」と呼ばれる町です。

この町のシンボルは、本丸・二の丸跡の一部を整備した「西尾市歴史公園」の中にある「西尾城本丸丑寅櫓」です。城下のみどり川の橋には二条から四条という呼び名があり、京都に模して「三河の小京都」となっているのです。

西尾城の別名は「鶴城」・「鶴ヶ城」・「錦丘城」・「西条城」などで、いつ頃築城されたのか定かではありません。最も古い存在の記録は弘治3年(1557年)で、永禄4年(1561年)に徳川家康までの3代に仕えた酒井正親が城主となりました。

天正13年(1585年)になって、正親の子・重忠が家康の命によって城の改修を行ない、二の丸に天守を築いたのです。その後城主は、田中吉政→本多康俊(初代西尾藩主)→松平成重→本多俊次→太田資宗と替わり、資宗の代で城下町を囲む総構えの工事に着手しました。

総構えは井伊直好の時に完成し、その後も藩主は増山氏2代・土井氏4代・三浦氏2代と続き、明和元年(1764年)に大給松平家の松平乗祐が表高6万石で入封し、以降松平氏5代が明治2年の版籍奉還まで続きました。

「一般社団法人西尾市観光協会」のサイトには、「観光街道 モデルコース」が紹介されています。「西尾の抹茶街道」・「六万石西尾小京都めぐり」・「西尾の自然と歴史の名所を満喫」・「三河木綿から三河衣食住の歴史を知る」などです。

「西尾の抹茶街道」は、西尾茶の始まり「実相寺」→茶祖の寺「紅樹院」→「稲荷山茶園公園」→「西尾市歴史公園・旧近衛邸」→というコースです。この他、抹茶に関する体験型博物館「あいや 西尾の抹茶ミュージアム 和く和く」や茶房「茶遊」のある「松鶴園」での抹茶の一服体験もお薦めです。

「六万石西尾小京都めぐり」は、「西尾市歴史公園・旧近衛邸」→「康全寺」→「肴町通り・順海町(唯法寺・崇覚寺)」→「伊文神社」→「妙満寺」→「盛巌寺」というコースです。

「康全寺」は平安時代の領主・吉良氏が帰依していた寺で、「肴町通り・順海町(唯法寺・崇覚寺)」には最も城下町の佇まいが残されています。「伊文神社」は歴代西尾城主や町人までが信仰した神社で、「妙満寺」は本多俊次の乳母が信仰し、「盛巌寺」は松平家乗が祖父と父の菩提を弔うために建立した寺です。

「西尾の自然と歴史の名所を満喫」は、「稲荷山茶園公園」→「西尾市歴史公園」→「吉良ワイキキビーチ」→「東幡豆海岸 トンボロ干潟」→「国宝 金蓮寺弥陀堂」→「憩の農園」というコースです。

「西尾市歴史公園」には城下町のシンボルの一部が復元され、新たな歴史文化の発信地となっています。園内の本丸丑寅櫓・二の丸表門の鍮石門・旧近衛邸・椿の庭・京風庭園が美しい「尚古荘」などを見学して、遠い古を思うことができます。

他にもこの町での見所には、「久麻久神社本殿」・「岩瀬文庫」などがあります。

「久麻久神社」は、大宝年間(701~704年)の創建と伝えられ、国の重要文化財に指定されています。その本殿は桁行3間・梁間2間の入母屋造りで、屋根は檜皮葺き、細部の意匠が優美で建立年代のはっきりとした貴重な社殿建築です。

「岩瀬文庫」は、古典籍から近代実用書までの幅広い分野と時代の蔵書8万冊余りを保存・公開する書物の博物館です。重文『後奈良天皇宸翰般若心経』・江戸時代の図鑑『本草図説』や『本草図譜』・京都の伯爵家旧蔵本『柳原文庫本』・『羽田文庫本』などの貴重な収蔵品があります。