【日本の城下町】古の息吹を感じる悠久の日本の城下町20選

【大阪】食い倒れ・天下の台所と形容される太閤はんの城下町

城下町・大阪(大阪府大阪市)は、西日本の軍事・経済の要の地であり、「食い倒れ」や水路に支えられた「天下の台所」と形容される、太閤はん(豊臣秀吉)が築城した「大坂城」を中心に水運で栄えた町です。

城の呼び名には現在では「大阪城」と「こざとへん」の「阪」を使われていますが、かつては「つちへん」の「坂」が使われていました。これは、城の建っていた上町台地が北から南へと大きな傾斜を持つ坂になっていたため、「大坂」という地名となったということのようです。

今では地名上も「大阪」となっていますが、これには、武家政権の江戸時代が終わって明治時代になった時、侍(士)が反抗すると縁起が悪いとして明治政府が変えたなどという逸話があります。

天正11年(1583年)から慶長3年(1598年)にかけて、豊臣秀吉は織田信長との抗争で敗れた石山本願寺があった上町台地に、「大坂城」を築城しました。しかし、この時の城は現在では全て埋没しています。

秀吉が亡くなり秀頼の時代になると、関ヶ原の戦いで実権を握った初代江戸将軍・徳川家康は、「大阪冬の陣」・「大坂夏の陣」を起こして、豊臣家を滅ぼしてしまいます。そして、大坂に入封してきたのが、家康の外孫・松平忠明でした。

大坂藩主・忠明は城下の復興にあたり、「日本之台所」や「日本国中の賄所」と呼ばれるほどの商業都市への発展の端緒を作ったのです。その後忠明の大和郡山への移封に伴い大坂藩は廃止となり、大坂の町は幕府の直轄領となりました。

現在見ることができる「大阪城」は、元和6年(1620年)から寛永6年(1629年)にかけて2代江戸将軍・徳川秀忠によって修築されたものです。町割りは経済を優先させた碁盤目状のもので、船場には商工業者の居住地を置き、城下を流れていた多くの川は埋め立てで無くなったものの、心斎橋などに地名を残しています。

城下の様子は、現在の官公庁施設のある周辺の城を取り囲むようにして立つ武家屋敷、天王寺周辺の防波堤としての寺社群、中之島周辺の大名蔵屋敷などがあり、天下を支える都市の姿でした。

「大阪観光局公式サイト」には、4つのテーマに分けて観光のモデルコースが紹介されています。そのテーマは、「ビギナー向け」・「リピーター向け」・「半日」・「終日」というものです。

テーマ「ビギナー向け」には、「大阪周遊パスで、はじめての大阪満喫コース」・「キタ 超絶景!空から陸からめぐり」などがあります。「大阪周遊パスで、はじめての大阪満喫コース」では、キタやミナミはもちろん、大阪城・通天閣といった大阪の代表的な観光名所を、お得な「大阪周遊パス」で巡ります。

テーマ「リピーター向け」には、「堺 チンチン電車で行く”堺”ぶらり旅」・「昔々、大阪は海だった!上町台地で古代への旅」などがあります。「昔々、大阪は海だった!上町台地で古代への旅」では、「上町台地」が海だった頃の古代を思って、「玉造稲荷神社」・「森之宮遺跡」・「難波宮史跡公園」・「大阪歴史博物館」などを巡ります。

テーマ「半日」には、「過去+未来+暮らし+宇宙=中之島アート散歩」・「アンティーク風着物で大阪のまち歩き」などがあります。「アンティーク風着物で大阪のまち歩き」では、アンティーク着物で古い町並みや風情のある路地が残る中崎町界隈を散策します。

テーマ「終日」には、「ファミリーでめぐる緑豊かな大阪・北摂」・「大阪は歴史の宝庫!!”みなみかわち”を歩く」などがあります。「大阪は歴史の宝庫!!”みなみかわち”を歩く」では、聖徳太子ゆかりの「太子町」・江戸時代の商家の町並み「富田林寺内町」などを巡ります。