【日本の城下町】古の息吹を感じる悠久の日本の城下町20選

【角館】藩政時代の地割が見られる佐竹氏の「みちのくの小京都」

城下町・角館(秋田県仙北市)は、室町・戦国時代の戸沢氏の移転から、江戸の藩政時代に整備されてきた地割が見られる、今に伝わる武家屋敷が昔の風情を伝える佐竹氏の「みちのくの小京都」と呼ばれる町です。

応永31年(1424年)、陸奥国・出羽国(2国で東北地方)を支配した戸沢氏は、重臣の角館城(別名:小松山城)主の角館能登守が謀反を起こしたので、これを討って城を開城させた後、そこを居城として移転してきました。

慶長7年(1602年)、戸沢氏に替わって蘆名義広(盛重)が入部し角館城主となり、現在の城下の町割の元を作ります。そして、元和元年(1615年)の一国一城令によって同6年に廃城となったことに伴い、城のあった山の麓に居住し、町割りを防衛に適したものに改めました。

明暦2年(1656年)、蘆名氏の断絶によって今度は佐竹義隣(よしちか)が角館に入部となります。義隣は京の公家・高倉永慶の二男で、母が秋田藩初代当主の佐竹義宣の妹という縁で、一時途絶えていた佐竹北家の第8代当主、角館初代所領となったのです。

角館所領初代の義隣が京の公家の血筋で、2代目の佐竹義明夫人も京の公家・三条西家の出であることから、角館の町は自ずから京風となり、現在は角館城(跡)南側一帯が蘆名氏・佐竹氏家臣らによって造られた侍屋敷が建ち並び、東に花頂山・西に小倉山・町中に鴨川と、「みちのくの小京都」となっています。

角館と言えば桧内川沿いの2キロに渡って連なる400本のソメイヨシノと、武家屋敷を中心に咲き誇る150本の枝垂桜(しだれざくら)の桜で知られていますが、この枝垂桜は京の祇園から移植したもので、ここにも遠く京都の風情を伝えているのです。

ここで古を偲ぶことができる名所・旧跡には、地割・内町(うちまち)の武家屋敷・外町(とまち)の商家・元の角館城跡地「古城山城跡(古城山公園)」・蘆名氏菩提所「天寧寺」・佐竹北家菩提所「常光院」・「平福記念美術館」・「樺細工伝承館」などがあります。

角館城下の地割は、現在も江戸時代のものが踏襲されていて、防衛のためのクランク形道路が特徴です。今は残っていない武家地と町人地を分けた火除けの跡地の一部には、仙北市角館庁舎が建てられ、北側の武家屋敷のある地域と南側の外町の商家があった地域を分けていた名残りとなっています。

城下を象徴する武家屋敷は、かつて角館城の武家町を南北に走る「武家屋敷通り」に面して残っています。通りには「馬つなぎの石」などの遺構が残り、遠い時代の風情をよく伝えているため、『隠し剣鬼の爪』・『たそがれ清兵衛』などの映画ロケも行われているのです。

唯一武家直系の子孫が今でも母家に暮らし、屋敷の半分を一般公開している「石黒家」や、母家・武器庫・6つの資料館・茶寮・レストランなどが充実し、代表的武家屋敷の「青柳家」など多数のお屋敷を見ることができます。

城下南側の外町地域にある田町は国の保存地区には指定されていませんが、昔の面影を残す黒板塀に、春には桜で秋には紅葉と見ごたえたっぷりの区域です。蔵が5個の「西宮家」・「太田家」・「下新町太田家」などの武家屋敷に、「新潮社記念文学館」という文化に触れられる施設もあります。

外町の商家のあった地域は、多くの老舗が残っています。観光客に一番人気と言っても良いのは、味噌や醤油を醸造する「安藤醸造元」で、嘉永6年(1853年)の創業、明治時代に建てられた座敷蔵には見事な襖絵が残っています。