【日本の城下町】古の息吹を感じる悠久の日本の城下町20選

【飛騨高山】古い街並みと祭りの鉾に歴史を刻んだ城下町

城下町・飛騨高山(岐阜県高山市)は、その町割りが京都に似ていることから自他ともに「小京都」とされる古い街並みを持ち、日本三大曳山祭に数えられる高山祭りの屋台(鉾)に歴史を刻んでいる町です。

JR高山駅から10分ほど歩くと八軒町に「高山陣屋」があり、そのすぐ側では「陣屋前朝市」が開かれています。朝市は正午まで行われていて、地元の人々との触れ合いの場となっています。

「高山陣屋」は、城下町を形作る中心である高山城の城主・金森氏の下屋敷のひとつだった所です。この町は、金森氏支配の後は徳川幕府の直轄地となったため、陣屋は幕府の代官や郡代が政治を行なう拠点となりました。

陣屋からすぐ近くの「中橋」を渡って対岸の小路を7分ほど行けば、「鍛冶橋」を過ぎた下三之町で「宮川朝市」が開かれています。この朝市も正午まで行われていて、石川県「輪島朝市」・千葉県「勝浦朝市」と並ぶ日本三大朝市のひとつになっています。

朝市通りから「桜山八幡宮」の参道まで5分ほど歩くと、飛騨高山の昔を偲ばせる古い街並みの入り口に辿り着きます。ここは大新町から下二之町にまで続き、安川通りを横切ってさらに行けば三町のもうひとつの古い街並みへと続いているのです。

古い街並みには、「高山祭屋台会館」・「吉島家住宅」・「日下部民藝館」などもあるので、時間に余裕があれば立ち寄ってみるのも良いかもしれません。是非とも立ち寄って欲しい場所は、「飛騨高山まちの体験交流会館」と「飛騨高山まちの博物館」です。

街並みで心癒された後は、古都らしく寺院巡りがお薦めで、「東山寺院群」へは歩いて10分ほどで行くことができます。或いは、駅に戻ってそこから「さるぼぼバス」で10分ほどかけて「飛騨の里」へ行ってみるのも良いでしょう。

この他にも飛騨高山には見所が満載で、「桜山日光館」・「飛騨高山獅子会館からくりミュージアム」・「夢工場飛騨」・「宮地家住宅」・「高山別院寺宝館」・「高山昭和館」・「でこなる座」・「飛騨民族考古館」・「藤井美術民芸館」・「高山市政記念館」・「松本家住宅」・「花見の足湯」など数えきれないほどです。

高山城は7百メートル近い臥牛山(城山・巴山)に築城された平山城で、特に復元された構築物は無く、曲輪・堀・石垣・土塁の遺構が残るばかりです。織田信長の安土城の影響を受けて御殿風の古い城郭形式で望楼型2重3階の非実践的な天守が建てられていた言いますが、今は存在しません。

城山には、室町時代に飛騨守護の京極氏の被官・多賀出雲守徳言が天神山城(多賀山城)を築城し、その後多賀出雲守・高山外記が天神山城を築城した際にこの辺りを「高山」と呼ぶようになったという説があります。

戦国時代になって、斎藤道三の娘婿として織田信長と相婿となる三木自綱(姉小路頼綱)が高山に松倉城を築城し、これを越前大野城主だった金森長近が攻めます。長近は飛騨を制定して、3万3千石の領主なるのです。

長近は初め鍋山城に居ましたが、後に天神山城跡地の城山に高山城を築城します。関ヶ原の戦いの年までに本丸と二の丸を完成させ、徳川家康が将軍となった年までには三の丸も完成させました。

高山城の築城と並行して城下町も整備し、高台には家臣屋敷、下段の三町に町人の町、東山には京都に真似て寺院群を集めたのでした。しかし、90年ほど支配した金森氏が国替えとなると、高山は天領となり、高山城を預かった加賀藩主・前田綱紀によって、幕命による破却が行われたのです。

金森氏の高山支配は6代、現在の高山城跡は城山公園となり、城山公園二の丸児童遊園地には、長近の乗馬した姿が銅像なって讃えられています。